1936年4月10日に十和田市に生まれ、三本木高校、宮城学院短期大学国文科卒業。小学校勤務の後、結婚のために退職。
1971年叔母の形見分けの中の紫の裂織の帯に出逢い、消滅しかけていた裂織のルーツと師を求めて訪ね歩き、1972年に十和田湖町の東山きゑさんに続いて赤坂みせさんに師事する。
1975年に上田光乃氏が主催する、生活と手芸の会「おりひめ」に入門。同年7月7日、七夕の日、南部裂織保存会を設立し、自宅で「さきおり教室」を始め、以後、裂織の普及に心血を注ぐ。
南部裂織を復活させた功労を高く評価され、「青森県伝統工芸士」に認定され、「伝統工芸功労褒章」をはじめ、多くの受章に輝く。
日本織会議協議会、俳人協会、北海道・東北民具研究会、十和田市文化財保護協会、同山岳協会に所属、各種委員会の委員を務めるなど、広範にわたり、活躍した。
より多くの方々に南部裂織を体験していただけるように、また多くの生徒さんに学んでもらえるように、道の駅「とわだぴあ」の隣に、2002年に十和田市の施設である匠工房内に「南部裂織の里」をオープンし、2003年10月保存会設立30周年記念南部裂織フェスタin十和田を成功させたのを最後に、2004年3月2日逝去しました。享年67才。